先週、稚内の駅周辺とノシャップ岬の様子をお伝えいたしましたが、今回はその後編となります。
前回の記事はこちら↓
さて今回は、どんな風景と歴史が待ってくれているのでしょうか。
日本の最北端、宗谷岬へ
稚内の駅を降りて街並みをぶらぶらして、ノシャップ岬の風景を堪能した次は、いよいよもっと北に位置する宗谷岬を目指します。
ここ、宗谷岬は日本の最北端として有名な場所。
正確にはまだ北に位置する日本はある(弁天島という小さな岩礁があるそうです)のですが、一般的に私たちが行ける場所としてはここが1番北となります。座標で表すと、北緯45度31分22秒、
東経141度56分12秒(どの点を最北とするかで若干のズレがあります)とのこと。この緯度を見てみると、確かに日本では1番最北端にはなりますが、世界地図を広げてみると案外「そんなに北ではない」ことがわかります。
例えば、宗谷岬の北緯45度31分は、イタリアのミラノ(北緯45度28分)とほぼ同緯度。フランスのパリ(北緯48度51分)や、ドイツのベルリン(北緯52度30分)よりもずっと「南」に位置しています。それなのに、冬の平均気温は1番低い、というのも興味深いものがあります。1番北に位置するベルリンよりも、2℃〜5℃程度は低いのです。
そんな宗谷岬へのアクセスですが、稚内市街からは車を使用することになるのですが、駅からバスも運行されています。1日7本程度のバス便があるのですが、観光を考えると現実的には3本程度となるでしょう。乗車時間は1時間弱。5月になると、定期観光バスも運行されるのでこちらもおすすめです。利便性を考えると、観光バスかレンタカー等を利用するのが1番良いのではないでしょうか。
宗谷岬から大岬旧海軍望楼跡へ
宗谷岬は、日本最北端の碑が建っているだけではありません。碑を背中にして正面に小高い丘があり、そこにはこの地が重要な拠点であったことがわかるスポットがあるのです。
そのスポットの名前は、「大岬旧海軍望楼跡」と言います。
旧帝国海軍が建設した海軍望楼(= 遠くを見渡すためのやぐら)の軍事史跡なのです。
その望楼の歴史は古く、1902年(明治35年)に旧帝国海軍によって建設されました。目的は、国境の防備。1875年(明治8年)に定められた樺太・千島交換条約によって、この宗谷岬周辺は国境となりました。ロシアが樺太に軍備配置を進められていることを知った海軍は、海上監視の重要な拠点としてここを建設したのです。当時、最強と言われていた「バルチック艦隊」の動きを見るためには、絶対に必要だったのです。
日露戦争が終結しその使命を終えた後も、様々な監視の拠点として重要な任務を課せられていたといいます。1968年(昭和43年)12月に、稚内の有形文化財として指定されました。稚内は、何度か大火事の被害に遭っており、歴史ある古い建造物をほとんど焼失してしまいましたが、この「大岬旧海軍望楼跡」は現存する唯一の明治時代の建造物で非常に財産価値も高いものがあります。望楼内は残念ながら立ち入ることはできません。建物自体が老朽化が進んでいるため、倒壊等の危険性があるため、とのことです。
このように晴れた日には、小高い丘からサハリン方面がよく見えます。当時この望楼から見た景色は、ここに携わる人たちにどのように写ったのでしょうか。冬は強風が吹き荒れ、気温も氷点下10℃以下になる過酷な環境下で、国を守っていた人たちの気持ちが伝わってくるようです。
また、この「大岬旧海軍望楼跡」周辺は現在観光地として整備されています。小高い丘の上には、宗谷岬灯台(もちろん日本最北の灯台)や平和の碑、宗谷海域海軍戦没者慰霊碑、祈りの塔などが立ち並んでいます。場所やその歴史上、悲しい事件が起こった地でもあるため、このようなたくさんの慰霊碑などが建ち並んでいるその姿は、少しもの悲しいものがありました。でも、ここからみる夕陽はとてもきれいなものがありますので、時間が許すのであればぜひご覧になってみてください。
宗谷岬ウィンドファーム
この宗谷岬は四方が海に囲まれている環境から、比較的風が強い場所でもあります。また、宗谷丘陵という広大な土地が近くに広がっているというまたとない環境下のため、「宗谷岬ウィンドファーム」という集合型風力発電所があります。稚内の駅から宗谷岬に車で移動していると、徐々に見え始めるその風車の数は全部で57基。
1500haはあろうかという広大な丘陵地帯に、出力1000kWの風力発電機がずらりと並ぶ姿は圧巻です。この風車の直径は61.4m、支柱の高さ68m、最大の高さ(地面から風車のてっぺんまで)が98.7mという巨大さです。風速3mというわずかな風で回り始め、その総出力は57,000kW。これは、稚内市の年間消費電力の約6割に相当する電力にあたります。この日も、その巨大な風車は風を受けてくるくると回り続けていました。
ここ宗谷岬周辺では、年間を通じて平均風速7.5メートルを超える風が吹きます。この風は、水産物の加工(干物)などに大きく活用されてきましたが、逆にこの地に住む人たちにとって厄介なものであったのも事実。この風力発電所を通して、その風がこの地に住む人たちに還元されたというわけです。
この稚内ウィンドファームを背に沈む夕陽。
ここも圧巻の景色です。もちろん、車で風車のすぐ近くに行くこともできますのでぜひ見てみたいスポットと言えます。
稚内港周辺
日本最北端の地を堪能して、稚内市街に戻ってきました。最後に稚内港を見てみることにしました。
この稚内港は、日本の最北端の「港湾」で、1957年に港湾法上で規定されている重要港湾に指定されています。漁業として発展しただけでなく、道北地域における物流拠点や、利尻島・礼文島への連絡港として大きな役割を果たしています。
この稚内港には、写真に写っている「北防波堤ドーム」があります。稚内港の防波堤としての役割はもちろん、桟橋に到着する船と、稚内駅までの乗り換え通路をも兼用するために、1931年(昭和6年)から5年間をかけて建設されました。この防波堤の大きさは、高さ約14メートル、長さ427メートル。写真に写っている人影と比べるとその巨大さがわかります。70本あまりある巨大な支柱に支えられたその姿は、夜にはライトアップされるなど、観光名所であるとともに現在では北海道遺産にも選定されています。
また、ここ稚内港は海上保安庁の拠点でもあります。この日も、海上保安庁の巡視船『れぶん』が停泊していました。この「れぶん」は、稚内海上保安部に所属の「1000トン型」と呼ばれるタイプの巡視船。この稚内港を基地として、オホーツク海周辺を担当海域としています。巡視船ですから、当然軍事設備も設けられており、30mm機関砲や遠隔監視採証装置などが搭載されているそうです。もちろん、使われないことを望みますけどね。
稚内をめぐってみて
この稚内は日本の最北端というだけでなく、歴史上のいろいろな拠点や重要施設があることを知りました。街は静かではありましたが、そのたたずまいは古くから栄えてきた歴史が垣間見られるものでもありました。この稚内行きの途中、様々な人たちと話をしましたが、皆さんとても暖かく人なつっこく、穏やかに接してくれたのが非常に印象的でした。もともと漁師町として栄えたものがきっと今も残っているのでしょう。
稚内の駅舎はきれいになりましたが、古い駅舎の時にもぜひ来てみたかったと思った今回の旅。駅前にある美味しいラーメンを食べながら冷えた体を温め、そして帰りのJRに乗り込みました。また来てみたい、そしてもっとこの街の歴史を知ってみたい、そんなふうに思わせてくれるステキな街でした。
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