日本の北の最果ての地。
そう聞いて、何をイメージしますか?
荒れ果てた荒野がどこまでも広がるさま。
風が吹き荒れ、冬は誰も受け入れてくれないような閉鎖感。
寂しさにむせかえってしまうような孤独。
どちらかというと、「北」には冷たくもの悲しいイメージがあります。今日はそんな最北の地、稚内をご紹介します。
日本の最果て、北の果て稚内
日本の1番北に位置する北海道の中でも、さらに1番北の街。それが稚内です。きっと、その街の名前はどこかで聞いたことがあるかとは思います。実は私たちで展開している「最北の海鮮市場」も、稚内が発祥の地なのです。オホーツク海に突き出した岬の街であり、港が栄え漁業資源が豊富な街としても知られています。稚内の地名の語源は、北海道ではよくある「アイヌ語」からきており、「冷たい飲み水の沢」=「ヤム・ワッカ・ナイ」だとされています。稚内の街の歴史は非常に古く、江戸時代初期からその恵まれた地理条件のため港湾・漁場町として発展してきました。
さらに国の最北の要衝としても重要視されたようで、日露戦争(明治37年〜明治38年)以降は、サハリン(当時の樺太=南半分は日本の領土だった)との航路ができたり、大正時代には鉄道網も引かれるなど、役割は非常に大きかったのです。このように反映した稚内も、現在では漁業が衰退し人口の減少も続いてしまっているのが現状のようです。
実は、私が稚内を訪れるのは今回が初めてのこと。
歴史と文化を紐解くと、非常に興味が出てきました。実際にはどのような街の表情を見せてくれるのが楽しみです。
稚内へのアクセス
稚内へアクセスするにはいくつかの方法があります。
まずは飛行機。東京(羽田)や札幌(新千歳空港)からは直行便が出ています。東京からは約2時間。札幌からなら約50分のフライトとなります。東京からお越しになるなら、この方法が1番早そうですね。
次にJR。札幌から稚内行きの特急「スーパー宗谷」「サロベツ」が一日合計3往復走っています。この特急列車の走行距離は396.2kmに及び、日本で運行されている気動車(ディーゼルエンジン搭載の汽車)特急で一番長いのです。時間も5時間以上。本当に北海道は広いのだ、と実感させられるところでもあります。
車だと長距離バスを利用する手もありますし、自家用車なら道央自動車道をひた走り、終点の「士別剣淵IC」から国道40号線を北上しきったところとなります。いずれも札幌から約6時間程度の時間がかかります。
今回、私はJRを利用することにしました。
車窓から朝日を眺めながら、ひたすら北上します。北へ、北へ。
いざ、初上陸。稚内の地へ
長い距離をひた走って来たにもかかわらず、列車は定刻に終着稚内の駅に到着しました。駅には、「日本最北端の駅」の看板が見られます。ここから先、もう線路はありません。その昔は、稚内の港までさらに北側に線路が延びていたのですが、今はこの駅のここが線路の終わり、北の果てとなります。
「最北端の線路」と書かれた看板が、駅構内から見ることができました。日本中にはり巡らされている線路網の最南端の駅まで、距離にして3200km以上。気が遠くなるような距離です。日本の最北端の駅と言っても、ターミナル駅のように広大な敷地があるわけではありませんでした。ホームは1つ。線路も1つ。駅に発着する列車の数も、特急合わせて上下8本ずつ。最北の駅は、決して賑わっているわけではありません。静かにその終着と旅立ちを待ち構えているかのようでした。
この稚内駅は、2011年にリニューアルオープンしたピカピカの駅舎で、とてもモダンな作りをしていました。実は、「最北の駅」というイメージが先行して、もっと風情のある駅を想像していた私にとって、これはちょっと予想外でした。天井も広く高くとられていて、ガラス張りの壁からは太陽の明るい日差しが差し込んでとても開放的な空間になっていました。でも、そのモダンな外見と裏腹に、利用している方の数が少なかったのが印象的。もちろん、平日のお昼過ぎということもあったかもしれませんが、がらんとした空間は、すこしもの悲しさを漂わせていました。
駅前も、区画整理がされとても広々とした空間が広がっています。隣には「道の駅」も併設されていて、こちらはたくさんの車が駐車されていました。やはり、北海道の郊外は鉄道ではなくて車文化だと言うことなのでしょう。
せっかくの稚内、ちょっと駅前を歩いてみることにしましょう。
ぶらっと稚内探索
駅を背に向けて、左手方面に昔からの商店街と住宅街が広がっていました。街並み自体はとても古く、新しい駅との差が大きいのもこの街の特徴です。でも、それらは決して悪いものではなく、「温故知新」という言葉がすっと出てきてしまうような、そんな不思議な感覚がありました。
稚内市街は、中心が稚内駅ではなく1つ隣の「南稚内」という駅に少し移動しているような感じです。車で国道を走ると、南稚内の駅周辺にはたくさんの商店や大型店舗が進出していました。このあたりも、鉄道文化から車文化にシフトしている地方の北海道の現状を垣間見ることができますね。これは、致し方ないことなのかもしれません。
それでも街には、風情のある昔ながらの景色が広がっています。ぶらぶらと街を歩いていると不思議に落ち着いた気持ちになってきます。初めて訪れたこの稚内のはずなのに、なにか「帰ってきた」という感覚にとらわれました。昭和から脈々と続いてきた街並みは、やはり歴史を感じさせ、そして静かながらも語りかけてくるものがあります。こんな風にぽつんとポプラの木が立っているのも、なんかいい感じです。
稚内市の年間の平均気温は7℃ほど。降雪自体はさほど多くはありませんし、最北の地の割には気温も特段内陸部のように冷え込むことも多くありません。夏は夏で気温は上がらず、8月の平均最高気温は22℃ほどしかありません。東京や関西から来た方は、きっと夏の涼しさ(と夜の寒さ)にびっくりするはずです。
このあたりはやはり日本の最北の地、ということなのでしょう。
2つの岬
稚内には大きな2つの岬があります。
まず1つ目は、真っ青な空に突き抜けるしましま模様の灯台が特徴のノシャップ岬です。漢字表記では「野寒布岬」となりますが、北海道の根室に「納沙布岬=のさっぷみさき」があり、漢字表記だと読み間違えをすることが多く、カナ表記することが多いようです。日の出や夕焼けを見るのにも最高なロケーションですね。晴れた日には利尻富士(利尻島)も見ることができます。近くには土産店や稚内市立ノシャップ寒流水族館、青少年科学館があり、ちょっとしたスポットにもなっています。
このノシャップ岬周辺にも港があり、たくさんの船を見ることができます。訪れた時期は真冬だったため、あまり漁に出ている船はないようで、相当数の船がこのように陸に上げられて並んでいました。色とりどりに塗り分けられた船がこのような姿で見ることはあまり多くないので、ずいぶんと見入ってしまいました。
暖かくなり、海から流氷がいなくなるとこの漁船たちは一斉に漁に出かけることでしょう。
この付近の海では、たくさんの魚介類(タラ・サケ・ホタテ・昆布など)が捕れます。ここにある漁船で獲れた魚や貝類が、私たちの「最北の海鮮市場」を通じて食卓に上るのかもしれないと考えると、なんだかとても嬉しくなってきてしまいました。
今はこうやってお腹を見せてお休みしていますが、きっとシーズンには力強いエンジン音を響かせて勇ましく漁に出ていくのでしょう。
今回お伝えするのはここまで。
もう一つの岬、有名な宗谷岬とその周辺、稚内港の様子などは、次回更新時にお伝えしたいと思います。歴史とともに見ていくととても奥深いことがわかった今回の稚内の旅。
次回も、歴史を紐解きながらご紹介していきます。
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